中尾歌舞伎の歴史

  中尾歌舞伎は、江戸時代の明和4年、この地を訪れた旅芸人によって山の神様を祀る神社の前宮で演じられたのがはじまりと伝えられます。

 天保、慶応、明治と盛んに演じられ、慶応元年には地域の住民が皆でお金を出し合い、彩り鮮やかな六歌仙の引幕を作って座に花を添えました。

 しかし、太平洋戦争が勃発し、さらに終戦後社会構造や経済状況などが大きく変化したことも影響して、いつしか自然消滅してしまいました。
 
 昭和61年、ふるさとの伝統をあらためて見直し、地域を盛り上げていこうという地域の若者たちがお年寄りの指導を受けて復活上演し、中尾歌舞伎保存会の活動が始まりました。
 平成8年には回り舞台も設置された本格的な芝居小屋『中尾座』が完成、その柿葺落には歌舞伎俳優の大御所、十二代 市川團十郎丈をお呼びし、話題をあつめました。
 また、平成18年に長谷村は高遠町、伊那市と合併し、それをきっかけに現在の新・伊那市の「無形民俗文化財」に指定されております。