恋女房染分手綱 重の井子別れの段

 作品紹介
 
「恋女房染分手綱」は宝暦元年(1751年)大阪竹本座初演、吉田冠子・三好松洛の合作で全十三段からなり、近松門左衛門作で宝永四年(1707年)に初演された「丹波与作待夜の小室節」を改作したものである。「重の井子別れの段」は十段目である。

 

あらすじ
 由留木家の息女調姫(しらべひめ)は関東へ下って入間家へ嫁入りすることになりますが、幼い姫は父母に別れて東国へ下りたくありません。出立の間際になって「いやじゃ」と言い出す。そこで姫の機嫌を直すために玄関から呼び込まれたのが、自然薯(じねんじょ)の三吉と呼ばれる子供の馬子。三吉は道中双六を披露し、姫は双六にも勝って機嫌も直ります。
 三吉に褒美を与えようとした調姫の乳母重の井は、三吉こそ別れた夫、伊達与作との間にできた一子、与之助であることを知ります。
 かつて調姫の母に仕える腰元だった重の井は、奧家老の息子、伊達与作と不義密通。後家の御法度を犯した罪で二人とも死罪になるところを、重の井の父、定之進が切腹して愁訴し、調姫の母が重の井と同時に調姫を出産して、乳母が必要との訴えによって、与作は追放、重の井は乳母になったのでした。
 そうした事情がある以上、今、三吉と母子の名乗りを上げるわけには行きません。もし、乳母に馬子の子がいるとなれば、調姫の縁談にもひびきかねません。この結婚は政略結婚ですから、不調となってはお家の存続にも関わります。重の井は泣く泣く三吉を追い返し、調姫と共に東へと旅立っていくのでした。
 最後に三吉が涙ながらに歌う「坂は照る照る鈴鹿は曇る。間の土山雨が降る。」降る雨よりも親子の涙、中に時雨る雨宿り

 

 

 

 

見どころ

 見どころはまさに「子別れ」です。母と子が名乗ることもできずに別れて行く。重の井と三吉が舞台で泣きながら別れているとき、その裏側ではこれもまた、調姫とのその母の別れがあるという、いわば「二重の子別れ」を描き出しています。